August 01, 2014

この夏の記憶に残る一品。

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先日、麻布ウグイスで開催された出版記念のイベントは
茶道の茶事の流れを模したもので、わたしはお茶を点てさせていただいた。
そのかたちは、遊び心から始まったかもしれないけれど、皆が真剣に臨んだ。

点心のひとつにパンを使ったものがあった。
生クリームをホイップしてつくったフレッシュなバターに、生わさびを練り込み、
鴨とともにカリッとドライに焼いた一枚のバゲットにのせたそれは料理人の仕事。
記憶に残る美しいカナッペだった。

わたしはきものが好きで、それを少しでも日常にするために茶道の稽古を始めた。
稽古と仕事がかさなれば、着替えずに行くこともある。

好きなきものとパンには、共通点がある。

その向こうには必ず生産者と真の職人がいて、気が遠くなるような過程を経て
見栄やはったりのきかない手仕事がなされている、ということ。
なんでも早く安く簡単に、が良しとされる時代にあって
真摯にその仕事に向き合う彼らの存在に尊敬と憧れを感じている。

たくさんのひとのおかげで今回、いまここならではのイベントができたことに
深く感謝しています。

イベントの詳細は下記で書いています。

クハガタ茶会


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July 29, 2014

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」

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田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」(講談社)。

風変りなタイトルに惹かれて、読んでみた。

著者は岡山の古民家で日本古来の酒造りの方法に則って
天然の麹菌をいかしたパンづくりをされている
「パン屋タルマーリー」の渡邉格(いたる)さん。

東京で生まれ、31歳でパン職人になることを決意し、奥さんとともに
千葉で店を開き、東日本大震災をきっかけに家族で岡山に移住した。

パン屋さんになるきっかけや天然菌を追究していったその道筋には
渡邉さんならではの力強い物語がある。

開業物語と並行して渡邉さんはマルクスの『資本論』の超訳を伝える。
今の世の中の仕組みを考えさせられる。

わたしは、最近読んで、地域経済の自立について考えた、
『里山資本主義』(藻谷浩介・NHK広島取材班)のことも思い出した。

渡邉さんは地域通貨のようなパンを目指すと言う。
「つくって売れば売るほど、地域の経済が活性化し、地域で暮らす人が
豊かになり、地域の自然と環境が生態系の豊かさと多様性を
取り戻していくパン」。

その仕事=生き方に心をつかまれた。
いつか、岡山に行って、タルマーリーのパンを食べてみたいと思う。


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May 28, 2014

カレーのエッセイからパンを考える

先日、面白い本を読んだ。

『アンソロジー カレーライス!!』(PARCO出版)。作家たちによるカレーライスについてのアンソロジー。なかでも、古山高麗雄(1920-2002)という人の文章が興味深かった。

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カレーの話だけれど、こういう時(食文化の話を読む時)の常でわたしは、パンのことを考えながら読む。

「多民族国家というわけではないのに、私たちの国ぐらい、世界各国の料理が氾濫している国はない。いろいろな民族がいて、それぞれが自分の民族の料理を求め、その結果各国の料理があるというのではない。日本人が、渡り歩いて、食っているのである。そういう日本人を客にして、年には、各国のレストランが店を構え、それだけではなく、異国の料理が家庭にまで入りこんでいるのが、私たちの国である」

パンも氾濫している。でも、カタカナで表記する外来語のように、パンはとうに日本のものになっている。多くの職人さんの努力で、いろいろな国に由来するさまざまにおいしいパンが、今も試行錯誤をかさねながらこの国の水や小麦粉で、独自の素晴らしい進化を続けている。

「戦後、この国にはスーパーマーケットが簇生し、食品会社が全国一律に、きまった味のルーを出荷している。青森でも鹿児島でも、同じルーを使って、同じ調理法でカレーライスを作っている。スーパーとテレビは、それだけでそうなったのではないが、この国とこの国の人々を画一化した」

テレビのほかに雑誌が、そして今はインターネットがある。

スーパーやコンビニエンスストアでは、どこでも同じ味のパンがリテイルのそれより低価格で、いつでも手に入る。パンだけれど新しい色や香りが季節ごとに流行する。会話をしたくない人はしなくても買うことができる。時代。

「私が、美味求真と口にしないのは、戦場で餓鬼道に落ちたからである。以来、私は、まずいという言葉を口にすることができなくなってしまった。だからといって、今は、まずいものを食う気にはなれない。今はその必要はないし、私は老人になった」

ここを読んで、今年、舟田詠子さんにインタビューをした時に、思わず涙ぐんでしまったことを思い出した。

「アルプスの村のおばあさんたちはね、”食べもので何がいちばん好きですか”と聞くと、”食べられるものならなんでも好きですよ。食べられるものならなんでもおいしいと思いますよ”と言ったのよ」

はっとした。自分で麦を育て、パンを焼く人の言葉だった。わたしはメディアの企画でパンのランキングの仕事をしたばかりだった。パンを嗜好品のごとく、主観で感じたことを伝えたまでだったけれども……。良くも悪くも、わたしは今この時代の資本主義経済のなかで生きているのだった。

わたしが受け持っている冊子のコラムへ、「消費者はどんなパンを求めているのか」、パン屋さんからの質問が寄せられる。消費者は素材も製法も流通経路も価格も多様なパンを前に、どれにしようか考えている。

「そうだ、あの店のパンを買おう」と思うきっかけを、わたしは作ってきたのだし、作っているのだと思う。個人的で小さな感動を、言葉にして伝えるのが、大好きだから。

おいしくていいもの。楽しくて素敵なこと。そのまわりにいる人々のことを伝えたい。
painに、痛みにすくんで、怠けている場合ではない。

カレーの本を読みながら、そんなことを考えていた。

昨日のpainの続きで、妙な感想文になってしまった。

読んでくださってありがとうございました。

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May 27, 2014

Painについて

フランス語読みでなく英語読みで、パンではなく、ペインについて。

昨年から今年にかけてわたしの内側は、パンに対して沈思黙考していた。

パンの仕事に関わる友人たちは相変わらず、日々の食の愉しみをわたしに直接あるいは間接的に分け与えてくれて、彼らの言葉や生き方はわたしにとってパンより興味深く魅力的であったけれど、いくつかのできことがかさなって、気がつくとわたしにとってのパンのイメージがすっかり、Pain(ペイン)になっていたのだった。どんなことがあったって自分の弱気に負けてはいけないのだけれども。

パンのおいしい、たのしい、すてき、なことを取材しようと向かった先にいくつかのペインがあった。彼らは痛みを、怒りや哀しみを抱えていた。そういうことについて、わたしは今まで書いてこなかった。誰も読みたくないものが出来上がると思ったから。でも、もし、目を凝らして痛みを見つめたら、その先に光が見えないだろうか。誰もがペインを持っている。その光の方向へ一緒に行くことはできないか。いまはそんなことを考え始めている。


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May 09, 2014

after a long absence

しばらBread Journal Facebookで更新をしていました。
https://www.facebook.com/BreadJournal

まもなくこちらも再開します。


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January 03, 2014

2014年、新しい年に思うことと「パン日記」ファイル

あけまして、おめでとうございます。

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新年はチクテベーカリーのシュトレンを愉しんでいます。師走の大仕事が終わった後、ゆっくりシュトレンを楽しむ、というのは、以前他のパン屋さんにも聞いたことがあります。わたしは昨年そんなに大仕事はできなかったけれども、ひとに必要とされ、ひとの幸せな食の一端を担っているひとたちと、こうして関われていることに感謝して、いただいています。

年末はいつも通り、おせちをつくって実家に届け、帰ってきてから深夜に一番近くの神社に初詣。甘酒接待や地元の農作物の福引をする近所のひとたちと新年のご挨拶。

おせちを届けるようになったのは父一人になってからだけれど、この習慣は続いている。日が昇って、昼間に夫と散歩。隣町の大きな神社は長蛇の列をなしていたのであきらめて、お寺に参拝。以前、薪能に行ったひろいお寺だ。
いつもはひとがいない境内はお線香を炊く人や独楽まわしに興じるこどもたちで賑わっていた。お正月の神社仏閣はひろく、ひらかれている感じがする。

わたしたちがセルフタイマーで記念撮影をしようとしていたら、お坊さんが出てきて写真を撮ってくださった。
わたしは、カトリックの家庭に生まれ育ち、大晦日や新年はミサに出たものだったが、最近はこんな調子である。

昨年、箱根のお寺で生まれて初めて自らが直接かかわって、伯母の永代供養の手続きをする、という経験をした。敬虔なクリスチャンであったのに今では教会に行かれなくなってしまった父のこともあるが、宗教とは何だろうと最近よく考える。
今この日本に生きるわたしにとって、特定の宗教というものは民族や家族、お墓の問題など便宜上あるもので、神さまの存在は結局一緒でないかと思いはじめている。

特定の宗教を信じる人もそうでないひとも、年の一区切りがつく年末年始は、目をとじて、手をあわせて、礼をして、今年を感謝し来年を祈願をしたくなるのだ。それはきっと、いいことだ。

そしてこの時期に限らず、毎朝毎晩、空を眺めると、同じように祈りの気持ちになる。流れる雲や日の陰りや月の満ち欠けを眺めているときに。

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大晦日、実家の本棚の奥に母のファイルがあるのを見つけた。それはかつてのこのBread Journalを父がインターネットをしない母のためにプリントアウトしたものだった。くすぐったい。そしてこの両親のもとに生まれていたことに感謝し、こんなでごめんなさいと懺悔し、よりよく生きたいと願う。みんなが幸せでありますようにと祈る。

父が元気でいるうちに、もう一冊だけ、本を出せたらいいと思う。

自分の書くことが、誰かの、何かいいことのきっかけになりますように
と、思いながら文章を書いている。わたしは今年も、それでいく。
ずっと、それでいく。

また、パンのことからそれてしまった?
こういう日もあるけれど、ここでまた書くことを続けていきたいと思います。

今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

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December 28, 2013

『和食の知られざる世界』

日本人の伝統的な食文化、和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたことで、和食についてあらためて考える機会を持つ人も多いかもしれない。

タイムリーに、先ごろ出版されたばかりの辻調グループ代表の辻芳樹さんの『和食の知られざる世界』(新潮新書)を拝読して、海外における和食について興味深く感じた。世界に発信された和食を3つに分けたところなど。

日本人からみて和食とは呼べないけれど和食っぽい素材や見た目、カリフォルニアロールのような「ギミック和食」。それじたいは和食ではないが、フレンチの料理人などが日本の料理技術の影響を受けて昆布出汁や山葵などを用いる「ハイブリッド和食」、その国にある素材を用い、異文化で好まれる味、たとえばトマトウォーターの出汁などを用いるなどした新味の和食「プログレッシブ和食」。

異文化のなかに進出して商売をする時、必要なのは変換する力、それは文学でいえば「翻訳」と辻さんは言う。翻訳された料理は、たとえば、NYに進出した一風堂のラーメンだ。欧米のアッパークラスの食習慣にならって前菜から始めるコース仕立てに変換されたメニュー構成で成功をおさめている。日本のラーメンが他国のラーメンより上質だから、というだけではなくて。

一風堂がNYに進出して1号店を開いた頃、わたしは博多で河原成美さんとお会いしている。まわりにいるみんなを明るく元気にするような方だ。彼はベーカリー事業も手掛けていた。パンについてどんな話をしたのだったか。

パンは、フランスから入ってきたパンは、博多の何店舗かの店で、メロンパンのようにギミックに、明太フランスのようにハイブリッドに、いろいろに変換されて続いている。食文化の出入国。食文化を読みとり翻訳する力はパンにも活かせるのではないか。

話がそれてしまった。

この本で個人的に心惹かれたのは、和食の一流料理店について書かれたところだ。
「草喰なかひがし」と「壬生」。いいな、行ってみたいなぁと思う。そうそう行くことは叶わなそうだけれども。

今までの人生で最高の和食は、いつどこでいただいたものだったか。
それをわたしはどんなふうに味わっていただろうか。

茶道の稽古を始めてからは初釜や炉開きなどの茶事で懐石料理をいただく機会に恵まれている。わたしもこのようにして人をもてなすことができるようになりたい、と思わせられる料理だ。

年の終わりに黒豆など炊きながら、和食について書かれた本を読み、和食に想いを巡らした。明日の朝になればいつものように網でパンを焼く日常ではあるけれど。


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December 25, 2013

ベストパン2003-2013、パンとカフェと。

ベストパンがAll Aboutパンの恒例企画になって十数年。

今年グランプリとなったVIRONがベスト10にランクインしたのは、いまから10年前、VIRONのオープンと同じ2003年でした。

当時を振り返ると、メゾンカイザーやPAULなど、メロンパンがなくてバゲットやクロワッサンなどフランスのパン屋さんにあるものだけを販売するフレンチスタイルの「ブーランジュリー」が話題になっていた頃でした。

パンの伝統ある国から上陸したこれらブーランジュリーの系列に新たに加わったのがVIRONでした。VIRONは他とちょっと違って製粉会社の名を冠し、フランス産の銘柄粉「レトロドール」のおいしさを伝えるために「バゲットレトロドール」を看板商品として生まれた店でした。

バゲット。今年、「All Aboutパン」の読者が一番よく買ったというこのパンは、シンプルゆえに素材や職人技の違いが出やすいパンです。パンを研究したい人には好適材料。食べ手にとっては、油脂や砂糖を含まないことから汎用性があり、何にでもコーディネイトしやすいパンである……というところが、ある人には魅力であり、ある人には面倒なこととなります。

何人かのフランス人が言いました。「バゲットを単品で食べるのは、パン屋さんからの帰り道でだけ」。

バゲットはそれだけでは「食事」となりにくい。
日本人はパンをファストフードのようにして摂ることが多いのです。間食や間に合わせの軽食としてサンドイッチやお総菜パンや菓子パンなど、それだけで完結するアイテムが日本には本当にたくさんあるのです。

そしてバゲットやカンパーニュなど、業界では「食事パン」と呼ばれながらもそれ単品では食事として成り立たないパンの食体験に、日本人はまだまだ乏しかったのです。

そこでVIRONはブラッスリーをつくった。それはパンをファッションとして消費してもらうためではなく、おいしい小麦粉を、そのバゲットを世の中に向けて発信する特別素晴らしい場となりました。

VIRONに限らず、この10数年、いや、もっとずっと前から、バゲットやカンパーニュを売る店では、カフェを併設することで、食べかたを提案してきたと思います。

日本のパン市場は大手ホールセールのパン屋さんが大部分のシェアを占めるわけですが、All Aboutのベストパンでランクインするのは規模の大小はあれ、リテイルすなわち小売のパン屋さんです。

リテイルのパン屋さんは大手ホールセールの店では(現在のところは)つくることが難しいとされていて競合しないパンで勝負します。ひとつひとつのパンに職人による微調整が必要なパンや、クラストのパリッとした具合がおいしい、バゲットなど。でも、それを売るからには、食べかたの提案もしなければなりませんでした。

ベーカリーカフェは確かに、おいしい食べ方を体感させてくれる場として機能してきたと思います。昨日も書きましたがAll Aboutのベストパンの店の半数以上がカフェなどを併設したお店でした。

この年末にわたしがふと思っっているのは「ハード系のパンの愉しみ方が”まだ”普及していないからカフェを併設する」という考え方はそろそろ終わりかもしれないということでした。もう来るところまで来た。

まだ普及していないのではなく、もうこれ以上は普及しないのではないか。

欧米がパンの先進国で、日本はおいしいパンを追求してそれに見習った時代もありました。でもこれから先、日本で例えばフランスのようなパン食文化が花開くとは思えない。確かにパンの伝統ある国に見習うところはたくさんあっても、日本には米飯であれ麺であれ、バゲットのようにシンプルなパンの代替となるものはたくさんあります。

と同時に、パンブームと言っている限り、ファッションとして消費されているかもしれないパンが、All Aboutのベストパンではお洒落な食べ物のアイコンとしてではなく、日々食べたいものとして、挙がってきている。

ある店においしいパンがあり、併設のカフェにはそれを「食事」にする幸せなテーブルがあり、そこには店主の提唱する食のスタイルがある。
わたしは今、そういういい感じの空間があちこちで小さな花を開かせているのを感じています。

インターネットの情報をみて、ある種のレジャーとして遠方から電車を乗り継いでもそこを目指す人もいるかもしれない(だから「聖地」と呼ばれるのか、と今これを書きながら納得)。でもほんとうは、近くに住めたらいいのにと誰もが思う魅力ある店。職人や経営者のスタイルを具現化したパン屋さんのカフェ。

この時代のパン屋さんのカフェの新機能は、集会所。いや、これは新しくはないかもしれない。古くからヨーロッパのパン屋さんに見られた機能だったかもしれません。

ひとはそこにパンを買いに、コーヒーをのみに立ち寄る、のだけれども、ひととひととの温かな交流という目的も果たすのです。パーラー江古田やameen's ovenしかり、ル・プチメックの食堂も、また。人と人とのつながりが生まれる場においしいパンがあること。それはパン食文化がある程度成熟した日本の今の、素敵な風景ではないでしょうか。

パンとカフェについてはまた書きます。

ベストパン★2013 結果発表

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November 18, 2013

四方田犬彦『ひと皿の記憶』より「バゲット」

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いま読んでいる、四方田犬彦『ひと皿の記憶』に「小学校に通っていたころの何が一番の苦痛だったかといえば、給食だった」から始まる「バゲット」の章がある。そうだあのパン(とそれにまったく合わない食べ物)、ひとまわり年が違っても、ひどく共感して読み始めた。

彼はO・ヘンリーのパン屋の娘と画家の出てくる短編を読んで、そうかパンなど食べるものではない、消しゴムに過ぎなかったのだと思うことにする。(話はそれるが、わたしも子供のころにあの話を読んで、でも、そんなふうに思わなかった。ただ、貧しい画家に恋心を持った娘が、こっそり画家の買うパンにバターを塗っておいてあげたのが裏目に出て、それを消しゴムに使おうとして絵を駄目にしてしまった画家に怒られる、悲劇だと思っていた。おかげで、そんな話も思い出した。)

四方田さんの偏見が幕を閉じたのは、母親の焼くクロワッサンだったという。わたしも、そうだったかもしれない。でもわたしの子供時代には、時を同じくして、町にもおいしいパン屋さんができ始めていた。

やがて彼はパリでバゲットに出合う。「痩せて無愛想に見えながらも、どこか禁欲的に食卓の全体を見守ってくれるようなパンだった」と評する。ここまでは、誰でも言いそうなことだけれども、ここからが面白い。

彼は日本のパンにフランスにはない、創意工夫と「おまけ」文化を観る。この穴にカスタードを詰め込めばもっとおいしくなるだろう、とか、いろいろといじくっているうちに、パンそのものが食卓の上で果たす本来の役割を忘れて、お菓子に作りなおしているのではないか、と。

そしてできたお菓子の集合地では、バゲットは歩が悪くなる。ハード系のパンが売れないとか、夕食にパンを食べよ!と10年以上言っているパン屋さんはハッとするかもしれない。

バゲットは食事の際に傍らに控えているパンであり、脇役であるのに、日本のパン屋さんはバゲットにもいろいろな化粧を施したくなる。「おまけ志向、お菓子志向がバゲットの本質を殺してしまうのである」。なるほど。

もちろん昨今では、パリよりもおいしいと評されるバゲットは日本にたくさん存在するし、シンプルでおいしい脇役的パンはたくさんあるけれど。

日本全体のいまの食文化を考えてみたら、日本のパンが「食卓全体を見守ってくれる脇役」にはならずにお菓子や間食として、手軽に食べられるファストフードとして、生きていく道を模索していることは、確かだと思う。

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October 06, 2013

バンブーのメレンゲ

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昨日のお土産、国立のバンブーのメレンゲとマロンパイ。

国立のバンブーはムッシュソレイユの竹内さんのお店だ。
昔よく、西荻窪のムッシュソレイユに行くと買っていたものを、いまはここで買う。

それにしてもこのメレンゲ「ムラング・プレーン」は、大きく絞りだしたものが13個ほど入っていて325円と安い。
こういうものはフランス系のパン屋さんでたまに見かけるけれども、こんなに安いところはない。
そして一番おいしいと思う、竹内さんのメレンゲ。
メレンゲ好きが言うのだから、間違いない。

これからの季節は、栗を茹でてつぶして、ゆるく泡立てた生クリームをかけて、
このメレンゲを添えたら、自家製の素敵なモンブランができる。

パン屋さんのお菓子が好きだ、という原稿をつい先日も納品したばかり。
その時もわたしはこのメレンゲを思いながら書いていたのだった。

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